光井純 アンド アソシエーツ 建築設計事務所(株)原 一樹さん

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岩国転勤で得た幸せな暮らし

まさかの辞令
岩国市で、光井純&アソシエーツ建築設計事務所西日本・岩国オフィスの所長を務める原さんは、茨城県出身。
移住前は、この会社の東京本社で働いていた。
岩国市との最初の出会いは4年前のこと。
足湯施設「狐の足あと」の設計デザインを手掛けるため山口市に一時的に移住した原さんは、観光で錦帯橋を訪れた。
「錦帯橋を見て、かっこいい!って思いました」。原さんは、その美しさに感動したという。
「でもまさか岩国に住むことになるなんて、その時には想像もしていませんでした」と笑う。
そんな原さんは、「狐の足あと」での仕事ぶりが評価され岩国転勤の辞令が下った。
実は、原さんが勤務する会社の代表・光井純は、岩国出身。全国各地の建築に関わってきた会社だが、岩国での仕事はまだない。
代表の「出身地の街づくりに貢献したい」という想いから西日本・岩国オフィスは開設された。そして、原さんに白羽の矢が立ったというわけ。
結婚したばかりというタイミングに転勤を躊躇する原さんだが、代表の熱い想いに触れて移住を決意。
妻も応援してくれて、2018年春、夫婦で岩国へ移り住んだ。

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もう一つの決め手
移住を決断できたのには、もう一つの決め手があった。それは「岩国錦帯橋空港」の存在だった。
岩国事務所から東京本社まで、ドアツードアでたったの2時間。日帰り出張もまったく苦にならない。
そのお陰で、毎週のように東京本社へ通っているという。
「今日も他のスタッフは、東京の忘年会に参加していますよ」と笑う。
「岩国は起業にも適していると思います」と原さん。
都会での起業は資金がかかるし、競争も激しく、ハードルは高くなりがち。
でも、岩国でならそのハードルはぐんと下がる。
しかも、空港のお陰で、気軽に上京してビジネスチャンスをモノにできる。

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東京とは真逆
岩国での生活がスタートすると、原さん夫婦は東京での生活との違いに驚いた。
仕事においては、その進め方がまず違った。原さんに課されたミッションのひとつは、岩国駅周辺のグランドデザインを描き、賑わいをつくること。
東京なら企業を相手に打合せることが多いが、岩国では違う。
街の人たちとの話し合いを重ね、これが原さんにとっては新鮮で、とても楽しいものだった。
さらにその交流が、岩国に早く馴染むことにもつながったという。
岩国に暮らし始めて半年が過ぎた頃、原さんは子どもに恵まれた。そして、岩国で子育てをすることの素晴らしさに気付くことになる。
妻は妊娠時に参加した「マタニティクラス」がきっかけで、たくさんのママ友に恵まれた。
産後になれば、「子育て支援ヘルパー」を利用して家事や育児のサポートを受けている。
夫である原さんはというと、近くに自然があることのありがたさを、子どもを持って改めて気付くことになった。
さらに、英語が身近にあること。都会でインターナショナル校を望めば費用が掛かる。岩国には米軍基地があるということもあり、外国人が多く住んでいる。そのため、就学前の外国語に触れる機会がごく身近にある。それは子どもの将来にとってプラスになるだろう。

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原さんの夢
原さんには一つの夢が芽生えている。
それは、「岩国で暮らすのってかっこいいよね!」と言われるような岩国にすること。
首都圏へのアクセスの利便性、豊かな自然、充実した子育ての支援制度、そして、街の人との交流や英語が身近にある。
岩国の人には当たり前のことが、他の環境から移住してきた原さんにとっては輝いて見える。そんな原さんだからこそ、夢のある街づくりが描けるはず。
結婚したばかりのタイミングで移住を決断した原さんは今、あのタイミングだから良かったと、心から思っている。

光井純 アンド アソシエーツ
建築設計事務所 株式会社

西日本・岩国オフィス
今津町1-1-17富士ビル2F